天の声は、人の口を通して伝えられる
いまは、コロナウィスルス一色で、おちおち外出できない世の中だ。
感染を恐れて家にこもっている人も、多いだろう。
人ごみに行けば、それだけリスクが高まるわけだから、
外出しなというのは、賢明な選択だ。
仕事や、どうしても外出しないといけないこともあるけれど、極力、外出は控えた方がいいのは、言うまでもない。
たまには、部屋にこもって静かに、思いをはせるのもいいだろう。
沈思黙考し、瞑想するのも、すごくいい。
座禅や瞑想をすること、心がすっきりして、直感が磨かれる。
天や宇宙とつながることができるんだろうね。
悩みがあると、その答えを求めたくなるのは、人情だ。
身近な人に相談する場合もあるだろうし、中には自分ひとりで解決するという人もいるだろう。
他人に相談しようと、自分で解決しようと、要は悩みがなくなればいいのだから、どんな形をとってもいいわけだ。
人には、みな守護霊や守護神がいるといわれている。また、信仰を持っている人であれば、己が信じる神さまがいるはずだ。
守護霊や守護神、神さまは、その人を何とか守ろうと、いろいろと頑張っているはずだ。
しかし、情けないことに、天や神の声は、凡人には聞こえない。
もちろん、中にはまれに、その声を聞こえる人がいるようだ。
確かに、天や神の声が聞こえたなら、とっても便利だ。
いろいろと正しい教えを受けることができ、
誤らない人生を歩むことができそうな気がする。
ただ、聞こえてくる声というのが、本当の神さまかどうか、
じっくりと吟味する必要は、大いにあると思う。
中には、神さまの名前を語ってくる、悪い霊もあるようだから、
十分に気をつけなければならない。
信心深い人には、神さまが身近な人の口を通じて、教えてくれることもあるようだ。
友だちや知り合いとの、何気ない話の中に、実は深いヒントが隠されている場合がある。
神さまは、その人を守るために、相手の口を借りて教える場合がある。
だから、人の話はよく聞け、というのは、そのためなんだね。
もちろん、話している相手は、そんなことは、つゆとも知らない。
自分が、神さまの意思で、話しているなんて、まったく思いもよらない。
ただ、自然と言葉が口をついて、出るだけだ。
だから、ふだんから感性を研ぎ澄ませて、いま聞いた言葉は神が話しているのではないか、と気づくことが大切だ。それが、悟る、ということなんだろうと思う。
問題に直面したとき、何かに迷ったときに、誰かに相談することは、決して悪いことじゃない。
むしろ、自分の気づかないことを教えてくれる存在だ。
そんな、次のような場が世の中にはある。
強いよりも、しなやかなメンタルを
目の前にやってくるいろいろな問題に対して、
強いメンタルをもって解決しようと、よく言われる。
メンタルは弱いよりも、強い方が絶対によいし、
強くなるよう努力すべきだと思う。
でも、万が一、失敗したあと、どうするかまでを考える「しなやかなメンタル」を身につけたほうが、どっしりと構えて生きられるような気がする。
強い精神力は、余りに強い負荷がかかると、あんがいポキッと折れやすい。
でも、柳の木のように、強風に揺さぶられながらも、
しなやかに生きるほうが、地に足をつけた生き方ができる。
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人生は冒険心を持って
もうじき4月。入学や入社で、新しい人生の旅立ちの月だ。
夢と希望に胸を膨らませている若い人たちが、たくさんいるだろう。
辛いこともあるだろうけど、楽しいこともいっぱいあるから頑張ってと、
エールを送りたい。
人間は生きている限り、年齢に関係なく、毎日が新しい日だ。
新しい日ということは、いくらでも再起を図れ、新規まき直しができる。
だから、いくつになっても青春だ。
自分の歳を忘れ、子どものような純粋で、天心爛漫な気持ちで生きられたら、
どんなに素晴らしいだろう。
だんだんオトナになるにつれ、社会というものを学ぶにつれ、
夢や希望を失いがちだ。
それじゃ、人生はつまらない。
せっかく生まれてきたのだから、後悔しないように、冒険心を忘れずに生きよう。
それがたまたま予想をはずれて、窮地に立たされたとき、
自分の真価が問われる。
お前は人生を切り開いていく力があるのか、どうか・・
それを宇宙から試されるときもある。
チャレンジとは、そういうものだ。
冒険とは、何も未開の土地を探検することばかりではない。
せっかく与えられた人生を、いかに充実させて燃焼するか。
それも立派な冒険だ。
そのひとつに、脱サラして起業する道もある。
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小さな幸せを感じながら生きる
生きていると、大きな困難が目の前にたちふさがることがある。
どんな逆境にあろうとも、小さな幸せを感じながら生きていると、
かすかな光が見えてくる。
目が見える。
音が聞こえる。
手が動く。
二本足で立てる。
ふつうに生きていけるだけでも、ただごとではない幸せがある。
その幸せをひとつひとつかみしめながら、生きてみよう。
小さなマイナスにばかりとらわれていると、
大事なものを見失ってしまう。
生きているだけでも感謝の念を持つと、
小さな光はやがて大きくなり、
太陽のように燦燦(さんさん)と降り注ぐことだろう。
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死生観を持つと人生が変わる
人は生きていることが、自然で、当たり前と考えがちだ。
でも、不幸にも大病を患うと、
毎日が、いや、刻々と迫る来る死への恐怖と戦わざるを得ない。
このほか、多額の借金に追われる場合も、そうかもしれない。
衝動的に、死への誘惑と戦うことも多いだろう。
逆境を乗り越えた人たちは、
みな人生観が変わる。
生と死を、いやおうなく考えさせられるからだ。
いつか人は死ぬ。寿命は、だれにも分からない。
だから、今、このときを、悔いのないように生きようと思う。
そのことを頭ではなく、心で分かったときに、
はじめて自分の生き方がわかる。
自分がどう生きたらいいのか、はっきり悟ることができる。
もし、自分の生き方が分からない人がいれば、
自分の命があと半年だとしたら、
何をしたいのか考えてみる。
そうすると、優先順位が決まる。
一番に挙がるものを達成しようとすれば、
会社を辞めることになるかもしれないし、
親密な人と別れることになるかもしれない。
それを覚悟してでも、自分はやり抜くのか・・
死生観は、自分の本質を考えさせてくれる。
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断捨離には勇気が必要
モノを片付けるのに、断捨離という言葉がある。
単に不要なモノを捨てる、という意味かと思っていたら、どうやらそうではないらしい。
モノへの執着を捨てる、というのが本来の意味という。
そうなると、なにやら仏教の思想に近いものを感じる。
確かに、身の回りにはモノがたくさんある。
これも使える。
あれも使える。
ぜんぜん使っていないのに、捨てられないのは執着心のあらわれだ。
古いモノを捨てないと、新しいモノが入ってこない。
押し入れにたくさんモノが詰まっていれば、何も入れられない。
それと同じように、新しいモノを入れるには、捨てなければならない。
これは人間関係にも、あてはまるだろう。
もし、新しい人生を切り開きたいとか、
新しい自分になりたいと思ったら、
バッサリと人間関係を変える必要があるんじゃないか。
モノを捨てるにも、人間関係を変えるにも、
程度の差こそあれ、勇気がいる。
つまり、人生において大事なのは、勇気ということに気づく。
雑然とした部屋を見渡しながら、ためいきをついている自分がいる。
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笑える場所に身を置く
笑える場所に身を置くだけで、
いろいろな悩みや苦しみを和らげることができる。
一生懸命に頑張っても成果が出ないときや、
悩みごとを抱えてばかりでは、自然と顔も曇りがちだ。
そういうときは、笑える環境に自分を置くこと。
お笑いの番組を見るのもいいし、
明るく楽しい仲間のいるところに行こう。
笑う門には、福来たる。
笑いは、幸せを呼ぶ。
一日、何回、自分は笑っただろうか。
多ければ、多いほど、心はハッピーになる。
笑いは体にもいい。
免疫力を高め、健康にしてくれる。
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