「心と体」のアンチエイジング

南波龍動が健康と生き方を考える

修行は、できることならしないほうがいい

僕は原因不明の体調の悪さから、
20代後半から30代前半にかけて、滝に打たれる修行をした。


どこにいっても、体が良くならなかったので、藁にもすがる気持ちだった。
あまりの滝の水の冷たさに、気絶しそうだったけど(笑)、
こうして元気に還暦過ぎまで生かしてもらったのは、
本当に感謝のひと言に尽きる。


仕事をしながらの修行だったので、当時は、死に物狂いという言葉がぴったりのような心境だった。
修験者で真言密教阿闍梨の先生のものとで、修行をさせたもらったのだ。


本物の宗教と、自ら修行者と名乗っていた、その先生に巡り合ったことで、
僕は救われた。


その先生が亡くなられてからは、僕はお寺からも離れ、
宗教から離れて、気功の稽古を始めた。
宗教には、本物とそうでないものが存在することが分かったからだ。



人間は、修行はそんなにしなくてもいい。
僕は必要があって、滝に打たれるという過酷な体験をしなければならなかったけど、
人生は、楽しむために生まれてきたと思う。
もっと言うなら、度を過ぎたひどい修行は、人間をダメにするとさえ、
僕は思っている。

 

 

過酷な修行は、本物の教え(真理)や、本物の先生(修行者)について行わないと、
とても危険なことも学んだ。

 


人生は、自分の好きなことをして、
たくさん笑って、たくさん楽しいことをすればいい。
それが、生まれてきた本来の意味だと僕は解釈している。


仏教用語に行住座臥という言葉があって、
日常の立ち居振る舞いも、すべて修行だというのだ。


何も、特別な修行などしなくても、
家族と仲良くするとか、周りの人を大事にするとか、
腹を立てない、笑顔でいる、感謝するといったことが、
とても大事なような気がする。 



何気ない、これらのことを実行するのは、けっこう難しい(笑)。


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