物質世界と精神世界
だんだん秋めいて、吹く風も秋の気配がするようになった。
あっという間に、四季が巡ってくる。
もう少ししたら、秋の豊作を願う秋祭りがやってくる。
今日は、物質世界と精神世界について考えてみた。
僕は若いころ、西洋医学で治らない霊障が原因で、ひどい苦労をした。
たまたま修験道を極めた山伏の先生に体を治してもらい、生き延びることができた。
だから、ずっと物質世界よりも精神世界のほうに価値があると思っていた。
しかし、いろいろ考えると、その両方が同じくらい大切であることを悟るようになった。
お金の話をしてしまうが、その先生に治してもらったとき、無料ではなかった。
当然のことだ。その先生は一般庶民と変わらない、つつましい暮らしをしてた。
つまり、どんな偉人でも、達人でも、神の境地に至った人でも、
この世に生きている限り、お金、つまり物質世界から逃れられない。
だから、お金を軽んじることはできないのだ。
これは宗教ばかりではなく、武術の世界でもいえる。
ある日本で高名な武術家は、父の遺産の不動産で生活し、
仕事をすることなく、武術に打ち込み、秘術を得て達人になった。
宗教も武術も、想像を絶する厳しい修行の結果、神技といわれるものを手に入れられるらしい。
修行や稽古をしている間、お金は入ってこない。
では、生活するのに必要なお金をどうするか?
つまり、目に見えないものを追い求めるとしても、
時間とお金で無縁ではいられない。
人間は生きていくために、お金が必要だからだ。
僕は、なんとか死ぬまでに日本全国の聖地や、修験道の修行の地を訪ね歩いて、
体験を本にするのが夢だ。
そこで突きあたるのは、やっぱりお金と時間(笑)。
どっぷり物質世界に入り込んで、それを可能にする経済環境をつくらないとね。
暗中模索しています。